2009年03月26日

イタリア語のお勉強

久々の更新である。どちらかというと、熱しやすく冷めやすい性格でもあるので、もうこのブログも終わりかな(おいおい)などと自問することもあったが、海外ドラマは好きだし、そんなことはない。ただし、自分でも気まぐれだとは思う。

というわけで、10年くらい前にちょっとかじったイタリア語をやってみたくなった。自分でも自覚しているが、けっこう単純なほうで、フランス語を聞けば、「あー、フランス語は、あのシャバドバダという音がいいよなー」と思うし、イタリア語を聞けば「やっぱ、イタリア語やで!」(関西弁だが)などと思ってしまう。てなわけで、もっか、イタリア語を再び勉強し始めてかれこれ数ヶ月。そんなこともあって、ますますブログの更新がおろそかになっているとも言えよう。

学生時代、自分はスペイン語が専攻だったが、外国語大学ということもあって、ときどきイタリア語を耳にすることもあった。そのリズムたるや、「イタリアーノ、スパゲッーティ、ボンゴーレ!」(実際の会話ではない)なんていうノリで、まるでカンツォーネを聞いているかのような感覚を覚えた。やっぱり、イタリア語は音楽なんだ―と痛感したものだ。

さて、イタリアと言えば、ファッション、クルマ関係ではアルファ・ロメオ (Alfa Romeo) とかフェラーリ (Ferrari) なんてのもあり、ちなみに、筆者の配偶者のクルマもアルファ・ロメオである。まさに、ドマーニ・ドマーニ(domani, domani:明日があるさ)の国イタリア、だいたいクルマも「遊び心」で造られている。だから、日本車に慣れていると、「登り坂で止まると、一瞬動けない」など、いろんなところで、「これってどうよ!」と思ってしまうこともある。配偶者いわく、「これがいいんよね」ということらしいが、国際ジョークにも、第二次大戦後、三国同盟(ドイツ、イタリア、日本)でともに戦ったドイツと日本が再会し、「今度はイタ公抜きでやろうぜ」というのがある。

こういうと、イタリア人ってほんと、陽気でお気楽なんだな、と思ってしまうが、確かに、筆者の知っているイタリア人を見てもそういうところもある。しかし、その反面、子供のころ観た昔のイタリア映画に「自転車泥棒」 (Ladri di biciclette) というのがある。モノクロ映画で、ネオ・リアリズモ (neorealismo) の代表作品のひとつ、監督はヴィットリオ・デ・シーカ (Vittorio De Sica) であるが、子供心に痛く悲しい思いをした映画である。一言でいえば、「まるで、救いがない!」ということである。そして、考えた、自分のお父ちゃんがあの「自転車泥棒」だったらどうだろう?あまりにも悲しすぎる、残酷すぎるのである。スペインやブラジルなどもそうだが、いわゆる「ぱやぱや」感覚の陽気なラテン民族、その奥底には、実は、深い悲しみや苦悩があるような気がする。

ということで、前置きが長くなってしまったが、イタリア語の勉強である。イタリア語もスペイン語やフランス語、ポルトガル語などと同様、ラテン語から分派した言語である。ラテン語はいまでもバチカンなどでも使われているが、イタリア語は、名詞の複数形などでラテン語の名残りを多く残していると言える。英語の a dog の複数形が dogs というように、単数名詞に単純に「s」をつけるだけで複数形にすることができる(もちろん children などの例外もあるが)という特徴は、スペイン語やフランス語も同じである。ところが、イタリア語だけは違うのである。それも、男性名詞と女性名詞では語尾が異なる。例をあげると、男性名詞である「本」libro の複数形は libri、女性名詞である「鉛筆」matita の複数形なら matite となる。しかも、不定冠詞(英語の a, an) や定冠詞 (英語のthe) も付けなければならないし、しかも、その単語が母音(あ行の音)で始まるかどうかで形が違うのであるから、もう、非常にややこしい。「もう、やめてくれ〜!」と悲鳴をあげたくもなり、ましてや、筆者の勉強する時間帯は真夜中である。アルコールでも引っ掛けながら「気楽に」やろうと思っていると、アルコールで朦朧(もうろう)となった頭ではけっこうキツイ。それでも、相手はラテンの国である。コミュニケーションする場合にアルコールはつきものだ、慣れておく意味でも(言い訳)、一杯やりながらというのも訓練にはなる。

で、こんなとき、勉強に疲れたら観るのがこれ。もちろん、イタリア語の勉強だからイタリア語である。とは言え、疲れているので、あまりまじめなモノもダメである。

http://www.youtube.com/watch?v=EjfPhb33VMs&feature=channel

題して、「10分間のイタリア語」、講師はマルチェロ・マストラントニオーニ(Marcello Mastrantonioni) (たぶん、かの大俳優、マルチェロ・マストロヤンニ:Marcello Mastroianni のパロディーか?)という自称「甘い生活」 (la Dolce Vita) を送る(?)ファッション・フォトグラファー (fashion photographer)。なかでも、上記urlは、「いかにしてきれいなおねーさんと make love するか」というレッスンである。イタリアならではの(?)このバカバカしさが筆者にはけっこうウケている。

英語の字幕もついているが、いちおう内容を簡単に説明しておくと、

「キミがボクのようにカッコイイ男じゃなくても、大丈夫、ボクの言うとおりにすれば、きっと彼女をモノにできる」という前置きから始まり、まず、きれいなおねえさんと会う約束ができたら、クルマで迎えに行く。もちろん、クルマはフェラーリ(あるいは同等のセクシーなクルマ)。自分で持ってなけりゃ、レンタカーでもいい。そして、約束の時間から3分遅れで行くこと。この3分がミソ。マニキュアや香水も忘れずに。特に足は大事(なんでもマルチェロ・マストラントニオーニ ブランドの香水もあるとか)。花束も忘れずに。花はバラ。でも、白 (bianca) はダメ、絶対に赤のバラ (rose rosse) じゃないといけない。そして、迎えに行ったらまず簡単なキス(でも、フレンチキスはまだだよ)、それから、行き先は告げずに、そのまままっすぐ空港へ向かう。そしてローマ行きの便に乗る、もちろんファーストクラスだ」なんてことで、それからどうするんだ?と思って聞いていると、そのフライトの中で事に及ぶのだとか。「そう、いたってシンプル。まわりの客が苦情を言ってきたら、とっとと寝な!」というふうに言い返そう。そして、「無事、事を済ませてローマに到着。ローマに着いたら、すぐに引き返そう。だって、24時間以内に返さないとレンタカーの料金もバカにならないしね」といった流れである。

やはり、なんといっても、イタリアである。

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2008年11月05日

Yes We Can! ついにオバマ氏アメリカ第44代大統領に選出

シカゴ (Chicago) のグラントパーク (Grant Park)。
さまざまな人種や年齢の人々が、広大な敷地をモザイクのように埋め尽くす。
熱い歓喜のどよめき。
うねる星条旗の波。
2008年11月5日(現地4日)、初のアフリカ系アメリカ人大統領が誕生した。

"If there is anyone out there who still doubts that America is a place where all things are possible; who still wonders if the dream of our founders is alive in our time; who still questions the power of our democracy, tonight is your answer."
(アメリカとはすべての可能性が実現する国である。そんなことはないと疑っている人はいますか?偉大なるアメリカの建国者たちの夢は今でも生きている。ほんとにそうだろうかと思っている人はいますか?民主主義の力を信じられない人がいますか?もし、そんな人がいれば、今夜がそれを証明する答えです。)

オバマ大統領のスピーチが始まるとみな一斉に耳を傾ける。
涙と希望に目を輝かせて。
ある者は陶酔するように、ある者は"Yes, yes"と強くうなずきながら。
また、ある者は感動の涙に顔をくしゃくしゃにしながら、
ある者は誇らしげな笑顔をほころばせながら…。

日本では、たぶん見られない光景である。
起こらない出来事である。
今までも、そして、これからも。

Tonight is your answer.

The victory belongs to you.

それぞれの言葉の持つパワーを効果的に動員・調和させながら、最大限の言葉のエネルギーを作り出すオバマ・スピーチ。

ただでさえ、感動に揺さぶられている人々の心をさらにゆり動かす。
これでもか、これでもかと。

まさに、英語は「雄弁」のための言語だ。

そして、たぶん、日本語ではできない表現である。
語れない内容である。

日本人はあまりにも寡黙すぎる。
あまりにもシャイすぎる。
言語表現が平坦すぎる。

なぜなら、日本語は「寡黙」のための言語だから。

以下は、オバマ大統領のスピーチの全文です。

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/11/05/AR2008110500013.html
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2008年07月16日

外国語の勉強ならやっぱりドラマ

社会人ともなると、机について勉強するというのはなかなかできない。

さあテキストを広げて、辞書を出して、ノートに意味を書いて… というのは学生さんの勉強のやり方である。仕事で疲れて帰宅した社会人では、よほどの堅固な意志の持ち主でなければ挫折する。

それでも、外国語を勉強したい(しなければならない)。では、どうするか。

そんなとき絶対におススメなのは、やはりドラマである。映画は1話で完結してしまうので続かない。外国語の習得は繰り返しと継続である。続編があるにしろ、数回で終わってしまうようなものでは意味がないのである。

もちろん、100話 (episode) もあるような長期ドラマを1日で観てしまう(100時間必要なので物理的には無理だが)というのではない。あくまでも、1日1話だけ観る。

と言っても、漫然と観ているのではただの娯楽になってしまう。いかに、娯楽と語学をリンクさせるか、これがポイントである。そのためには、勉強したい外国語のある程度の知識は必要。昔勉強していた外国語をやり直すとか、現在やっている言語をレベルアップしたいというときに効果的である。

そして、できれば字幕は使わない。読む、聞く、話す、書くといったことを同時にできるほど普通の人間は器用ではないと思う。聞いてから読むなど、2つの動作の間にタイムラグがあれば別だが、全く同時というのはけっこうむずかしい。余談だが、そういうところから、同時通訳をやる人は、聞きながら話せるような特別な訓練をするわけで、かなりの集中力を使うため、実際の同時通訳も20分くらいで交代しながら進めるのである。

また、ドラマ中で出てきた新しい単語などは書き留めておいて、後で辞書で確認するくらいのことは必要である。こういったことを毎日続けることでそれなりのレベルアップを図ることができるはずだ。

自分の体験になるが、このブログでも書いているように、かってはそれなりに話していたスペイン語を復活させるため、ラテンのテレノベラ (telenovela; ドラマのこと) を観ている。毎日放映していた「不細工ベティ」(Yo soy Betty, la fea) をここ1ヶ月ほど観ていたが、今ではかなりスペイン語が戻ってきた。真夜中に観てから床につくという生活を送っていたためか、朝起きるとまず頭の中にスペイン語の単語や表現が浮かんでくるようになった。効果絶大である。

このドラマも終わってしまったので、このドラマも終わってしまったので、今では、別のテレノベラを毎日チェックしている。
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